伊豆の愛犬ブランディ

私の愛犬、伊豆資料館のマスコット、ゴールデン・レトリバーのブランディは14歳になります。
実はこの9月の22日に大手術をしました。はじめは歳だからお腹は出てくると言われ観察していたのですが、急激に大きくなったので動物病院行ったところ、急を要する状態になっていたのです。原因は脾臓の異常な肥大。
この肥大した塊はすべての内臓を押しつぶし、ブランディは突然食べたものを吐くようになってしまったのです。ただ一つ良いことは血液検査の結果、悪い数値は無く、「手術なら今です」という獣医のアドバイスを受けました。
急いで車を手配し伊豆から東京にブランディを運び、9月22日に東京の病院で手術をすることになったのです。

“良性であることを願いますが、このサイズは悪性の可能性があります。明日もう一度エコーで見ますが、直ぐ手術することをお勧めします。今ならまだ体力があります。” 「悪性」この一語は胸に突き刺さりました。ケージの中で横になったブランディのお腹は大きく膨らみ辛そうでした。最後の決断は私に残されたのです。このままにしておくと、苦しくて食べることも出来ず、体力が落ちるばかり。切れば腹部は楽になるけど体力は落ちる。今は十分に歩けるけど・・・。切ったらどうなるのだろう? やはり手術しかないのか・・・。 その日ブランディは入院。私は眠れぬ夜を過ごしました。
翌日、朝早く病院に決意の電話をしました。
“手術をしてください。 よろしく願いいたします。”
仕事先から病院に駆けつけると、ブランディはすでに麻酔の導入剤を打たれ横になっていました。
ぼーっとしているブランディに呼びかけると、私の声が遠くに聞こえる感じなのか、ゆっくりと顔を上げました。
私と目線が会うと突然むっくと立ち上がりケージの間から私にうつろな眼で“帰ろうよ”と鼻を突きだしてきたのです。こんな時でも尻尾を振ってくれるのですね。なんていい子なのでしょう。
ここで涙なんかを流してはいけない!その顔を両手で支え、私は「大丈夫よ、大きなデキモノさえ取れば楽になるからね。待っているからね。」と何度も話しかけ、なるべく手術開始の間際までケージのドアを開けてもらいそばにいました。
“それでは始めましょう。ブランディを抱いて行きます。”と獣医先生が入ってきた瞬間私の血圧は間違いなく30は上がったと思います。
“はい、お願いします。”と私が立ち上がるとブランディはドアの開いたケージの隙間からするりと抜けて、縺れながらも早い足とりで帰ろうとしたのです。あんな強い薬を打っているのに、よっぽど帰りたかったのでしょう。
そんなブランディをあわてて抱き止め、先生に引き渡し、私は一緒に麻酔が効くまで手術室にいました。
麻酔の効く瞬間、ブランディはお座りの体勢からからだんだん足が前にすべり、ガクッとぐずれ、目を閉じました。
胸が痛みました。そして怖かったです、もう二度と目を開けないのではないかと。こんなことは二度とあってはほしくない。
“では始めますので、外でお待ちください”。

私は待合室のテレビで手術の成り行きを見守るしかありませんでした。冷静を装って黙って座っているのは容易ではなかったです。気がつくと、意味の無いことを繰り返し看護婦さんやスタッフの方に話していました。テレビモニターから見えるブランディは上向きにされ、両足を縛られ、固定されていました。その次に剃毛、殺菌を何度も繰り返し、そして出刀。
開腹して間も無く、悪影響を及ぼしている塊が見えました。切り口から手を入れては、ああしてもこうしても出せないと四苦八苦していた様子が画面から伝わって来ました。とにかく大きい!大きすぎてそのままでは出せず幾つかののう胞をつぶし、切り口をさらに大きく切り開いて初めて塊を外に出せたのです。そしてすべての血管をしっかり結んで塊を切除。恐ろしい事です。まるでお腹の中すべてが取り出されたように見えました。
素早く内臓をきれいに洗い、局部が見えるようにシーツをかぶせ先生は私を呼びました。いやな予感がする・・・・。殺菌したスリッパに履き替え手術室に入るとトレーからこぼれるようにしてのせられた大きなチョコレート色の塊が目に飛び込んできました。3.2キロの脾臓ののう胞のかたまり。まるでバレーボールのような大きさでした。
次に、私の耳に入ってきたのはあの恐怖の言葉「悪性です」。
“肝臓に転移をしていてこれは取れません。他にも転移をしているかもしれません。”
頭がくらくらしました。悪性・・・。手術台に進むと、黄土色に変色した肝臓の一部が見えました。
“普通肝臓はつやのある赤茶なのですが、ここまで大きく変形変色していると取らずにいたほうが良いでしょうね。ご確認してください。”
“先生、それは私に覚悟をしなさいということですか?”
“そうです。 うまく薬が効けば後1ヶ月から3ヶ月ですね。”
私は絶句をしてしまいました。やっとの思い出で押し出した言葉は「よろしくお願いします。」
“では、このまま閉じます。”
何をその後に言われたか覚えたていません。ただ、お辞儀をして、手術室を出るのが精一杯でした。しばらく外に出て外気に触れ自分を取りもどそうと必死に深呼吸をしました。すると、ブランディと同じ年恰好のゴールデン・レトリバーが目の前を通り過ぎ病院に入ろうとしました。元気そうで羨ましかった。
“あの、・・・・ワンちゃんおいくつですか?”と聞くと
“12歳です”と素敵なオーナーのご婦人は答えてくださいました。
“うちも同じ犬種で、二つ歳上の14歳なんです。”
ブランディと同じワンちゃんを見るのは辛くて普通になかなか話せなかったです。

やがて手術は終わり、麻酔から少し醒めた、ブランディはケージに戻されました。

“会ってあげてください。”と先生。
見に行くと、「痛いよう」と全身で言っているようでした。
“ブランディ、これでちゃんとご飯を食べられようになるわよ。きょうはネンネね。明日、また来るからね。“
その声には反応は無かったです。
“まだ、ぼーっとしています。痛み止めを与えていますので、このまま寝るでしょう。”
私は先生の言葉に促され、ブランディをお願いして病院を出ました。
なんとか良くなってほしい。それだけが脳裏を走り、帰宅の車の中ではただ涙が流れるばかりでした。

その夜は、癌に効く薬をインターネットでがむしゃらに探したり、何人もの医友に電話をしました。とにかく、癌に勝ってほしかった。台湾にいる母にも電話をし、早く帰るように伝え、翌日は薬探しに走りました。
翌日、先生の薬プラス私の薬を与えていただくようおねがいし、後は祈るばかりでした。
夕方、仕事先から電話を入れると、ブランディが立ち上がりご飯を食べたというのです。思わず大声で「本当ですか! うれしい!」と叫んでしまいました。食欲さえあれば望みはある。薬もビタミンも飲める。抵抗力さえつけば、癌の成長を抑えることが出来るかもしれない。望みが出てきました。
ブランディは傷と共に、日に日に良くなり、食欲も増し、消化もよく便もよく出、散歩も尻尾を振って歩くようになったのです。良かったと胸をなでおろしました。
予定は、5日目に退院、東京で自宅療養し、10日目に抜糸と決まり、後は母が早く戻って会ってあげることが一番。私の台湾への電話は加熱しました。すると、台湾一月滞在予定の母がなんと退院前日に飛んで帰ってきたのです。仕事をやりくりしたのでしょう。
“とんぼ返りしなくてはいけないけど、とにかく心配で帰ってきたわ。”と母はやはり優しかった。うれしかったです。退院はブランディの大好きな母に任せました。彼はさぞかし喜んだことでしょう。

そして、奇跡が起きたのでしょうか、母に連れられて退院をしてからまるで命がよみがえったようにブランディは復帰してきたのです。
抜糸の日、ブランディは最高の笑みで病院を出ました。“I am going home.”といっているようでした。
奇跡よ、何時までも続いてください!
今、ブランディは大好きな伊豆のお家に戻り、天気のいい日は裏庭に出て日向ぼっこしています。私もまた直ぐ会いに行きます。

私にとって犬は家族です。ブランディがどれだけ私たち家族に喜びをくれたか、それは数えきれません。いつか来る別れの日までこれからは感謝だけをして、過ごしたいと思います。

先日、手術の日に病院の前で出逢ったゴールデン・リトリバーのオーナーさんからブランディにプレゼントが届きました。素敵なクッションセットでした。これから始まる闘病に向けての温かいお心使いでした。同じ苦しみを歩いた先輩からの贈り物でした。感謝しています。
ブランディ、良かったね。これからは毎日楽しく過ごそうね。

そう、長く楽しく!