Jul 15th 2009

元祖テレビのスーパー・プロデューサーふたり!

写真、ジュディの右側は、日本テレビの偉大なスーパー・プロデューサー「井原高忠さん」(77才)。
この日は井原さんの喜寿のお祝いのパーティーでした。井原さんと言えば『九ちゃん!』『光子の窓』『ゲバゲバ90分』などなど、番組名をあげたら切りがありません。
写真、左側は、台湾のラジオ・テレビ界を育てた父、「翁治栄」(87才)。
ラジオ局BBCで部長、兼ディレクターを務め、後に台湾の中国電視台(CTV)の編成局長として、立ち上げ時から参加。
ドラマ『晶晶』(テレサ・テンを主題歌に起用し大ヒット)を始め、ニュース・ショーのバラエティー化と、数々のヒット番組を作り上げました。
この二人とめぐり逢え、一緒に仕事が出来た事を「私はなんとラッキーだったんでしょう!」とつくづく思います。

井原さんと始めてお会いしたのは、私が15才の時。
まだレコードデビューもしていないアイドルタレントをしている頃でした。
番組『九ちゃん!』から、歌と踊りの出演依頼がありビックリ!
私がアメリカンスクールに通っている事から、彼が選んだ歌は、スタンダードジャズの『チーク・トゥ・チーク』。
実は、私、ジャズが大好きでした。
子供の時から、父が家でジャズをよくかけていたからです。
仕事上その時代の歌を、次々にかけていたのですね。
フランク・シナトラ、ドリス・デー、パティー・ページ、ビン・クロスビー等、本当に「ジャズジャズ」でした。
そんなジャズは、私の子守歌になり、そして気がつくと、私の骨肉になっていたのです。
だから『チーク・トゥ・チーク』はお手の物。
でも、リハーサルでブラックシンガーのように手をフリフリして歌っていたら、「幽霊みたいだから、止めなさい。」と言われました。(笑)
今でこそ、若い人は手を幽霊みたいに手フリフリで歌いますけどね(笑)。
それ以来、私は歌う時に手の形の美しさを大切にしています。
そこから『魅せられて』のポーズが生まれたのです。

私の中国語圏のヒットのほとんどは、父が詩を書いてくれました。
中でも『竹田の子守歌』を中国語で歌った『祈祷』は、私の日本で言う『魅せられて』のような大ヒットになっています。
そしてデビュー当時は反対していた父が、いつの間にか応援してくれていたのでした。
やがて『ジュディ・オング・アワー』がCTVで放送され、テレビ番組での「一人ショー」の夜明けが始まりました。
台湾でヒットするとその曲は、香港、シンガポールと東南アジアへ流れて行き、やがてあちらこちらでお呼びがかかるようになったのです。
中でも忘れられないのは、父と井原さんが一緒にかかわったプロジェクト、『ジュディ・オング・ショー』。
父が二つ目に立ち上げたテレビ局、香港のコマーシャル・テレビの為の開局特別番組でした。
音楽担当は、宮川泰さん。
ダンサー、ライト、スイッチャーを含め、総勢20人を日本から連れて行き、それはそれは香港ではまだ見たことのないスーパーショーを作ってくださったのです。

ありがとう、パパ!
ありがとう井原さん!
いつまでも、元気で長生きしてください。
あなた方は私だけの宝物ではなく、『テレビ歴史の宝物』です。